伊勢 のバックアップ(No.1)
CV
大坪由佳
Illustrator
しばふ
史実情報
1936年 改装工事を終えテスト運転中の姿。どっしりとした重量感のある艦橋が特徴的。
伊勢 は日向と共に、扶桑型戦艦の3・4番艦として起工するはずであった。しかし、財政上の理由から国会で予算が下りず、建造時期が当初よりずれ込んでしまった。
ところが、先に建造された扶桑型は様々な欠陥が存在することが発覚。加えて、扶桑型では同世代の米国戦艦に対して、力不足であることも解ってきた。
建造が遅れたのをこれ幸いとばかりに、 伊勢 と日向は改扶桑型として設計を改めて建造する運びになった。
設計変更点は主砲塔の配置変更に始まり、各種防御、機関や装備に至るまで、多岐に渡った。
特に主砲配置は、第3・第4砲塔が煙突を挟む配置を改め、煙突後方に背負い式(二段重ね)に纏められている。
機関も扶桑型に搭載されていたものを改め、艦政本部が新開発したロ号式艦本式缶を初めて搭載。このボイラーは、後にあらゆる艦艇に搭載されることになる。
とはいえ、問題点が無かったわけでもない。砲塔の配置と機関の変更で速力の問題は解決できたものの、背負い式を採用したことで伊勢型の甲板は通常よりも短くなってしまった。
これによって割を食ったのが、居住区である。伊勢型の乗員は扶桑型よりも多かったのだが、短くなった甲板のつけは居住区の減少に繋がった。
さらに、艦首から第3砲塔にかけての両舷に副砲を集中配備したため、居住区はより逼迫。日本戦艦最悪の居住性になってしまった。
この他にも、波が高いと副砲の一部が使い物にならない、カッターを搭載するスペースがなく、煙突周辺に爆風避けを建てて無理に置いたりといった欠点もあった。
とはいえ、伊勢型の2隻が欠陥呼ばわりされていない点から、設計変更はとりあえず成功したと言えよう。
伊勢 は1915年(大正4年)5月10日、川崎重工業神戸造船所で起工し、1917年(大正6年)12月1日に竣工した。
伊勢 に限った話ではないが、海軍は機会さえあれば伊勢型に改良を施しており、伊勢型姉妹はしょっちゅう艦容が変化する艦だった。
1930年代になると、大規模な近代化改装を実施。複雑化していた艦橋は整理され、がっしりとした堅牢な印象の艦橋へと改められた。
太平洋戦争開戦時には、妹・日向、姉貴分の扶桑・山城とともに第1艦隊第2戦隊に所属。長門・陸奥姉妹の第1戦隊に続き、日本戦艦部隊の主力と目されていた。
しかし、周知のとおり戦いは機動部隊と航空機の主導で行われ、戦艦部隊の出番はなかった。
1942年には米軍の東京空襲と、ミッドウェー作戦支援ために出撃しているが、やはり戦艦部隊に出番はなかった。
そんな折の1942年5月、妹日向が訓練中に、砲塔暴発事故を起こしてしまう。これが、伊勢型姉妹の運命を大きく変えることとなった。
6月5日、日本海軍はミッドウェー海戦で大敗。虎の子の空母4隻を一挙に失い、機動部隊は大打撃を受けてしまう。
海軍は飛龍の図面を流用した雲龍型空母を増産する計画を建てたが、一朝一夕で出来る訳もなく、当面の間航空戦力を補う必要に迫られた。
そこで海軍は、民間船を徴用しての空母改造に加えて、既存艦を航空母艦へ改造することを考えたのだった……。
台詞一覧
|秘書クリック会話②|砲塔が重いかって?ぜんぜん||
秘書クリック会話③ | あ、ごめんなさい?振り向きざまに砲塔がぶつかっちゃった? | |
戦績表示時 | 提督、御連絡のようですよ |
|編成選択時|超弩級戦艦|伊勢型の伊勢、参ります||
|装備時①|ようし、これで行けるわね!||
|装備時②|ふーん||
装備時③ | やだ、結構いいじゃない!これって! |
(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)|
ドック入り | ちょっとした怪我よ、大した事ないわ | |
ドック入り(重傷) | 流石にちょっと、マズったかなぁ… | |
建造時 | 提督、新型艦が進水しました | |
艦隊帰投時 | 艦隊が帰投したようですね | |
出撃時 | 日向、いい?出るわよ | |
戦闘開始時 | 右舷砲転、行くわよ | |
攻撃時 | 沈みなさい! | |
夜戦開始時 | さぁ…追撃するわよ…! | |
夜戦攻撃時 | 主砲、6基12門、一斉射! |
|MVP時|え、私の戦果が一番なの?日向、見た見た?どうよ||
被弾小破① | …やったわねっ…!? |
|被弾小破②|…痛いじゃないの!||
|被弾カットイン|ちょっとマズったな…どうしよう…!||
撃沈時(反転) | これまでか……日向、先に逝くわね… |