雪風 のバックアップ(No.1)
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藤田咲
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史実情報
陽炎型8番艦として、1940年1月20日佐世保工廠で竣工。
就役直後、初風、黒潮と共に第十六駆逐隊を編成。翌年には黒潮に代わり新鋭の天津風、時津風が加わり第二水雷戦隊に配属された。
開戦後は、フィリピン攻略作戦に参加。以後、数々の主要な戦いに参加しながら、殆ど損害を出さず、日本海軍随一の強運艦として名を馳せる。
故に「奇跡の駆逐艦」と言われる一方、雪風は無事でも僚艦が酷い目に合うこともしばしばで、「味方殺し」「死神」とも呼ばれた。
実際、第十七駆逐隊に転籍した際、僚艦となった谷風では「雪風は十六駆逐隊の僚艦を食い尽くした」と噂が流れ、歓迎されなかったという(この2か月後、谷風は撃沈)。
日本海軍の強運艦としては空母「瑞鶴」、駆逐艦「時雨」が有名だが、この「雪風」は特にずば抜けている。
開戦当時、最新鋭駆逐艦だった朝潮型、陽炎型、夕雲型、島風は合計で50隻にも及ぶが、「雪風」以外は全て戦没している。
連合国側もこの強運を認め、第二次大戦最優秀艦と賞した。
主な戦歴(詳細を書くときりがないので、箇条書きとする)
スラバヤ沖海戦 無傷。海戦後の敵潜掃討では1隻を撃沈
ミッドウェー海戦 無傷。輸送船団を護衛した。
南太平洋海戦 無傷。「翔鶴」中破により着艦できず、不時着水する艦載機搭乗員を救助。
第三次ソロモン海戦 小破。敵駆逐艦を撃沈したとされる。さらに、「比叡」を自沈処理。
ガダルカナル撤収作戦 無傷。三回に渡りのべ1万3千人の将兵を救出。
ビスマルク海海戦 無傷。しかし味方駆逐艦4隻が沈没し、輸送船団は全滅した。
コロンバンガラ沖海戦 無傷。大戦果を挙げるも、二水戦旗艦神通が沈没。
コロンバンガラ島輸送作戦 無傷。駆逐艦夕暮が沈没したが、乗員は「雪風」の身代わりになったのだと噂した。
七三一船団護衛 無傷。
油槽船団護衛 無傷。
レイテ沖海戦 無傷。栗田艦隊に同道。「筑摩」救援に向かうも命令で「野分」に交代。野分はその後米艦隊に捕捉され撃沈、全員戦死。
空母信濃護衛 無傷。しかし「信濃」は沈没。
呉軍港空襲(3月) 無傷。しかもブイに繋留されながら敵機を撃墜。
坊ノ岬沖海戦 小破。ロケット弾が命中するも不発。
舞鶴空襲 無傷。機雷に触れるも特定回数の接触で爆発するもので、雪風は不発。しかし直後に触れた「初霜」が大破擱座する。
「雪風」がこれだけの激戦を生き延びたのは、自身の強運と高練度もさることながら、「雪風の守護神」艦長 寺内正道中佐 の卓越した指揮によるところが大きい。
特に対空戦闘では、寺内中佐は艦橋の天蓋から半身を乗り出し、大きな三角定規で爆撃の軌道を読みながら、航海長の肩をまるで戦車操縦のように蹴飛ばして操艦した。
銃砲弾の雨あられの中、鉄兜もかぶらず「俺には当たらんッ!」とわめきながらくわえタバコで指揮を執るその姿は、元乗員たちの語りぐさとなっている。
戦後は復員輸送に従事した後、連合国に引き渡される。
乗組員は整備を怠らず、連合国側に「こんなにも見事に整備された艦は見たことがない。驚きだ」と言わしめた。
1947年、くじ引きで中華民国に引き渡され、「丹陽(たんよう/タンヤン)」と名を変える。
日華事変によって艦隊が壊滅し、貧弱な海軍戦力しか有していなかった中華民国にとって、日本海軍から譲渡された賠償艦は力強い即戦力だった。
そのため中華民国は「雪風」を中華民国海軍旗艦という破格の待遇で迎えたのである。
国民党が共産党に敗北した際は、艦隊を率いて台湾に逃れた。この際、蒋介石が乗艦したとされる。
なお、武装は当初は12.7cm連装砲を装備したが、後に機関不調で解体された「宵月」の長10cm連装高角砲を装備。最終的には米国式の武装が採用された。
以後、「雪風」は中華民国海軍の艦として幾度も実戦に参加、中華人民共和国のコルベットも撃沈している。外交でもフィリピンを訪問した経験がある。
雪風は1964年12月の観艦式でその姿を確認されているが、艦齢が20年を過ぎたこともあり、速力が29ノットに低下するなど、老朽化に苦しんでいた。
そして、1965年12月16日に退役。翌66年11月16日に除籍される。
除籍後も訓練艦として活用されていたが、1969年に暴風雨で艦艇を損傷。解体が決定する。
この時、元乗員を中心とする「雪風保存会」などの活動により、日本への返還(正確には譲渡)が実現寸前だったと言われている。
台風での損傷はその矢先の出来事だった。あらゆる戦禍から雪風を救った幸運も、自然の力には敵わなかったのだ。
こうして雪風は、終に故郷に還ることなく、幸運と波乱に満ちた29年の生涯に幕を閉じた。
解体は1971年までに完了し、中華民国政府からに舵輪と錨が返還された。
現在、舵輪は江田島の海軍兵学校教育参考館に、錨は同館の庭に展示されている。この他、スクリューが台湾海軍士官学校に展示されている。
なお、台湾では「雪風/丹陽」はかなりの人気艦だったりする。日本でいうところの「三笠」的ポジションであろうか。
雪風の活動や第二水雷戦隊のお話を知りたい人は、こちらのNHKが制作した
[証言記録 兵士たちの戦争]
“鼠”輸送を命じられた精鋭部隊 ~駆逐艦・第二水雷戦隊~
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210055_00000
を見てみるのもいいだろう。
艦歴 | ||
大日本帝国海軍 |
発注 | 第三次海軍軍備補充計画甲型駆逐艦第24号艦 |
起工 | 1938年08月02日 | 於佐世保海軍工廠 |
命名 | 1939年01月20日 | 陽炎型第八番艦“雪風”と命名 |
進水 | 1939年03月24日 |
就役 | 1940年01月20日 | 第16駆逐隊へ編入 |
1941年12月11日 | レガスピー攻略作戦に参加 |
1942年02月27日 | スラバヤ沖海戦に参加 |
1942年06月05日 | ミッドウェー作戦に参加 |
1942年08月24日 | 第二次ソロモン海戦に参加 |
1942年10月26日 | 南太平洋海戦に参加 |
1942年11月12日 | 第三次ソロモン海戦に参加 |
1943年02月01日 | ケ号作戦(ガダルカナル島撤退作戦)に参加 |
1943年03月02日 | ビスマルク海海戦(ダンピールの悲劇)に参加 |
1943年07月12日 | コロンバンガラ島沖海戦に参加 |
1944年01月11日 | ヒ31船団護衛作戦に参加。同戦闘で僚艦「天津風」が大破し16駆は本艦一隻のみに |
1944年03月20日 | 第16駆逐隊が解散。第17駆逐隊へ編入 |
1944年06月19日 | あ号作戦(マリアナ沖海戦)に参加 |
1944年10月23日 | 捷一号作戦(レイテ沖海戦)に参加 |
1944年11月29日 | 空母「信濃」護衛作戦に参加 |
1945年04月07日 | 天一号作戦(坊ノ岬沖海戦/大和特攻)に参加。17駆所属艦は本艦以外、全て戦没 |
1945年08月15日 | 残存駆逐艦と共に第41駆逐隊へ編入 |
1945年08月26日 | 第一予備艦へ種別変更 |
1945年09月15日 | 米軍への引き渡しを実施。同日、特別輸送艦へ種別変更 |
除籍 | 1945年10月15日 | 海軍解体に伴い第二復員省所属艦へ |
1945年12月20日 | 旧舞鶴海軍工廠にて武装解除 |
1946年02月11日 | 特別輸送艦「雪風」として再就役 |
引渡 | 1946年12月30日 | 連合軍引き渡しのため特別保管艦へ種別変更 |
1947年07月03日 | 賠償艦隊を率いて上海に入港 |
~幸運艦雪風伝説~(2ch本スレの内容を一部改変、元ネタを記載)
・同じ駆逐艦隊での撤収作業なら大丈夫だろうと思っていたら、自分以外の駆逐艦が大破・沈没していった。(ケ号作戦、及びその直後に発生したビスマルク海海戦)
・空母から「怪しいから調べに行って」と言われ、見に行ったけどたぶん漁船だろうと戻ったら護衛してた空母が沈んでた。(空母「信濃」のこと、これが米潜「アーチャーフィッシュ」であった)
・ロケット弾を被弾し大破かと思ったら、不発だったため沈むことはなかった。(坊ノ岬沖海戦、宮津湾空襲)
・艦底に魚雷が命中したと思ったら通り過ぎて行った為に事なきをえるが、他の艦がその分余計にくらって沈んでいった。(坊ノ岬沖海戦)
・米潜水艦を発見して代わりに攻撃に行ってもらったら、身代わりになって大破、漂流してた。(駆逐艦「天津風」)
・更に沈没した艦の救助を代わりに行ってもらったら、その艦も空襲で撃沈されてた。(駆逐艦「野分」)
・それで別の艦の救助活動に行ったら、その前に大爆発して既に沈んでた。(重巡「鈴谷」)
・海戦に参加するはずだったがスクリューを損傷、やむを得ず船団護衛に回るもその海戦で日本軍は大敗、負け戦に。(マリアナ沖海戦、ちなみに船団護衛は1隻の被害のみで成功した)
・工作艦「明石」から修理を受けてる最中にも襲撃されるが回避行動をとり無事。ただし近くにいた重巡「妙高」が死傷者発生の大惨事。(レガスピー上陸支援作戦時)
・雪風が参加した任務の1/3は誤認が発生する。しかも「夜間」ほど危ない。双眼鏡を持っているのはそのためかもしれない。(第三次ソロモン海戦など。この戦いでは「雪風」も小破している)
・雪風が随伴する軍艦の大破・沈没確率が150%。無事でも次で必ず大破・沈没にあう確率が50%の意味。(不幸姉妹など。レイテ突入前に「雪風」などの駆逐艦隊の護衛つきで同地に移動)
・そんな危険な訳がない」といって開戦時から僚艦であり続けた「時津風」が、結局被弾し沈没していた。(ビスマルク海海戦)
・「新鋭空母なら問題ない」と「雪風」を護衛につけた「翔鶴」がフルボッコにされて帰ってきた。(珊瑚海海戦。「翔鶴」被弾後は「瑞鶴」の護衛に回り感謝状を授与されている)
・「お前もうくんな」と同型の陽炎型駆逐艦隊からも嫌われつつも合流するが、やっぱり雪風以外が全て沈む。(第十七駆逐隊編入時)
・呉軍港が大空襲を受けた時に「雪風」にだけ何故か攻撃が当たらなかった(呉軍港空襲。この空襲では戦艦「日向」軽巡「大淀」が大破したが「雪風」は米機を2,3機撃墜した)
・宮津湾で空襲回避中、「雪風」が起動した「回数機雷」で後ろを航行していた「初霜」が大破擱座。
・雪風が護衛する艦隊の敵弾被弾率は約120%。うち20%が味方の誤射で雪風が被弾する分。(コロンバンガラ島沖海戦)
・「武勲艦」「幸運艦」といわれたが、「他の艦の船運を喰らう艦」や「死神」とも言われ嫌われてもいた。
・「その幸運を買われ、駆逐艦なのに中華民国海軍旗艦にまで選ばれ、米軍の高角砲まで設置された(「丹陽」として。設置されたのは多くの特攻機を葬ったMk 33 3インチ砲の派生型である)
・丹陽として働いて合計艦齢28年のくせに中国軍艦艇と戦って大戦果をあげる(1959年8月3日、丹陽は中華人民解放軍海軍のコルベット2隻と交戦し、1隻撃沈、1隻撃破している)
雪風と同じ作戦に参加、または同海域にて撃沈、撃破及び自沈処分された艦達(「雪風」が処分していない艦も含めている事に注意)
沈没順に記載
空母(9隻):蒼龍、加賀、飛龍、赤城、龍驤、翔鶴、大鳳、飛鷹、信濃
戦艦(4隻):比叡、霧島、武蔵、大和
重巡(6隻):三隈、摩耶、愛宕、鳥海、筑摩、鈴谷
軽巡(2隻):能代、矢矧
駆逐(18隻):暁、夕立、綾波、白雪、時津風、夕暮、清霜、初風、巻波、谷風、野分、早霜、浦風、浜風、霞、磯風、朝霜、初霜
その他:輸送船8隻、油槽船2隻、潜水艦8隻
計: 57隻 この数の多さが「奇跡の駆逐艦」や「死神」の異名を持つ様になった所以である。
(それにしても、この並び順で大体どの海戦か分かってしまうのはさすがといったところか)
台詞一覧
状況 | 台詞 | 関連する史実や元ネタ、解説など |
|どうぞ、よろしくお願いしますっ!||
|秘書クリック会話①|はい、頑張ります!|
|秘書クリック会話②|なんでしょう、司令官?|
|秘書クリック会話③|あの、雪風に何か、御用でしょうか?|
|戦績表示時|しれぇ、通信が入っています|
編成選択時 | 雪風、いつでも出撃出来ます! | 就役から終戦まで1度も大規模修理を行ったことがない |
|装備時①|しれぇ、ありがとうございます!|
装備時② | 幸運の女神のキスを感じちゃいます! | 強運艦と言われた為 |
|装備時③|絶対、大丈夫!|
|ドック入り| 雪風、修理に入りますね|
|ドック入り(重傷)| 再び作戦に参加するための修理です|
|建造時|新しい仲間が進水しました|
|艦隊帰投時| 艦隊が帰投致しました!|
出撃時 | 連合艦隊の出撃です! | 実は「雪風」は駆逐艦ながら3日間だけ第八艦隊の旗艦を努めたことがある |
戦闘開始時 | 雪風は沈みません! | 終戦まで生き残った為。元空母飛鷹艦爆隊に所属していた豊田穣の著書「雪風ハ沈マズ」からの可能性高し |
攻撃時 | 艦隊を御守りします | そいつが全て沈んでいる。数多くの仲間が沈むところを見てきた雪風は、今度こそ仲間を護ろうと奮戦するのだ |
夜戦開始時 | 砲雷撃戦、続行します | |
夜戦攻撃時 | 沈む訳にはいきません | ※ただしゲームシステムには逆らえない |
MVP時 | 雪風、また生還しました。司令のおかげですね | 「雪風」艦長の神がかった操舵技術も幸運の中の一つである |
被弾小破時 | 不沈艦の名はっ…伊達じゃないのですっ!! | その活躍ぶりから、海自の護衛艦の1番艦の艦名に抜粋された |
被弾時 | きゃあ!至近弾です! | 直撃こそ喰らわないものの、被弾するときは大抵至近弾であった |
被弾カットイン | むぅー、でも、し、沈みませんから | 他の艦娘と比べて装備の破損が少ないのは、数多くの戦場で闘いながらも小破程度の損害しか負わなかったが故か |
撃沈時(反転) | 不沈艦なんて…この世にないのね |
同型艦
陽炎 ― 不知火 ― 黒潮 ― 親潮 ― 早潮 ― 夏潮 ― 初風 ― 雪風 ― 天津風 ― 時津風 ― 浦風 ― 磯風 ― 浜風 ― 谷風 ― 野分 ― 嵐 ― 萩風 ― 舞風 ― 秋雲