古鷹型 | 一番艦 | 古鷹 | 元々は軽巡に対抗する為の大型軽巡と言うべき艦だが、ロンドン軍縮条約により仕方なく重巡に籍が置かれた。サボ島沖海戦で旗艦「青葉」の盾となって敵の攻撃を受け、沈没。本型の設計は、高雄型に至るまで大きく変更される事なく流用された。 |
二番艦 | 加古[II] | 起工時は一番艦であったが、クレーン事故で就役が延長され二番艦となったため、後に「加古型」から「古鷹型」と改称された。第一次ソロモン海戦では重巡4隻を撃沈破する大活躍をみせたが、その帰途に潜水艦によって撃沈されてしまった。 |
青葉型 | 一番艦 | 青葉 | 古鷹型に含められることもある準同型艦。大戦中に何回も撃沈されかけ、その度に修理され舞い戻ってくることから「ソロモンの狼」と呼ばれる。最期は呉軍港で空襲に遭い力尽きた。 |
二番艦 | 衣笠 | 2013/07/24のメンテで実装。第三次ソロモン海戦において、米空母「エンタープライズ」の攻撃で沈没した。 |
妙高型 | 一番艦 | 妙高 | 初の本格的な重巡洋艦。終戦時には行動不能ながら外地で残存していた。 |
二番艦 | 那智 | レイテ沖海戦では志摩艦隊を率いて突入。しかし「最上」と衝突してし大破してしまう。 |
三番艦 | 足柄 | イギリスの観艦式に参加した際、同じイギリスの重巡と比較して「飢えた狼」と皮肉られた(日本では高評価と受け取った)。礼号作戦では命令を無視して駆逐艦「清霜」の乗員を救助、襲撃してきた敵艦隊を迎撃する。 |
四番艦 | 羽黒 | 1945年5月12日、ベナン沖海戦で僚艦「神風」を逃がすべく囮となって撃沈された。このベナン沖海戦がWW2最後の水上戦闘とされている(諸説ある) |
高雄型 | 一番艦 | 高雄[IV] | 高雄型は、書類上は最後の一等巡洋艦(重巡)である。居住性の悪さと、艦隊指揮能力を向上させた事で、これまでの重巡の艦橋とは一線を画す特徴的なものとなった。終戦時には外地で残存。 |
二番艦 | 愛宕[III] | レイテ沖海戦では栗田艦隊の旗艦として出撃するも撃沈された。「高雄」と「愛宕」は艦橋が縮小されている。 |
三番艦 | 摩耶[II] | 高雄型の中で「摩耶」だけは主砲のタイプが他の3艦と異なる。レイテ沖海戦で「愛宕」と共に撃沈された。 |
四番艦 | 鳥海[II] | 第一次ソロモン海戦では第8艦隊旗艦としてソロモン海に殴り込みをかけた。「鳥海」のみ近代化改装が間に合わず、旧式装備で戦場を戦い抜いた。 |
最上型 | 一番艦 | 最上[II] | 最上型以降は、条約の穴をつき、軽巡として建造され、条約破棄後に重巡となった。ただし、書類上は最後まで二等巡洋艦のままであった。大戦中に「三隈」「那智」と二度の衝突を起こしている。この「三隈」との衝突がキッカケで航空巡洋艦に改装されており、艦これでも航空巡洋艦として改装可。→最上改 |
二番艦 | 三隈 | 2013/06/26のメンテで実装。ミッドウェー海戦で「最上」と衝突。この後米機の空襲に遭い、撃沈された。架空改造だが、航空巡洋艦へ改装可。→三隈改 |
鈴谷型 | 三番艦 | 鈴谷[II] | 2013/08/01のメンテで実装。樺太の鈴谷川より名前がとられた、「唯一外地から名前がつけられた艦」である。レイテ沖海戦で大破。沈没した。架空改造だが、航空巡洋艦へ改装可。→鈴谷改 |
四番艦 | 熊野[II] | 2013/08/01のメンテで実装。サマール沖海戦で大破撤退の後、日本で修理する為に1ヶ月も大破状態で空襲に遭いながら航海を続けたが、遂に撃沈された。架空改造だが、航空巡洋艦へ改装可。→熊野改 |
利根型 | 一番艦 | 利根[II] | 最上型五番艦として計画されたが、設計変更により竣工当初から広義では航空巡洋艦である。1945年7月29日の呉軍港空襲で大破、着底した。 |
二番艦 | 筑摩[II] | 日本が完成させた最後の重巡洋艦。レイテ沖海戦で大破し、駆逐艦「野分」に介錯されて沈没。 |
改利根型 | 未起工 | マル4計画の初期に検討されていたが、予算削減のため基本設計段階で中止された。2隻の建造が予定されていた。 |
改鈴谷型 | 未成艦 | 伊吹[II] | 実装予定。戦況悪化により、建造途中で空母へ設計変更。 |
三〇一号艦 | 戦況悪化により起工直後に建造中止、解体。名前すら不明な不憫な子である。 |